なんとかしないと 戦争の末期、妹を学童疎開に出した思い出を向田邦子さんが書いている。まだ字のおぼつかない妹に、父親は自分の宛名(あてな)を書いたはがきをたくさん持たせた。「元気な時は大きいマルを書いて毎日出すように」と言いつけたそうだ▼初め…
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