〜偉大なる恩師〜

成瀬忠行

あそこまで完璧に模写して、それを尚且つ発表してしまう...
開いた口が塞がらないよ。
その数、でるはでるはで、総計何点に達することやら...
洋画家 和田義彦センセイ みっともないッス。


父方の菩提寺に行ったったときのこと。
大広間に掛けられてる絵を見て、その個性的な色彩から
「成瀬先生の絵に似ている」と母に言ったら、すかさず傍らの御住職が、
「私の従兄です」と。


高校に入学し、さぁ これから遊ぶぞ!と期待に胸を膨らませたのも束の間、
ある日 母がのたもうた。
「絵を習いに行きなさい」
WHAT?
曰く【着物は色の組み合わせが大きな役割を占める】
おっかさん 着物なんて着ないよ〜
洋服で充分だよ!!! 行かないからね!!!!


土曜日の午後 学校からそのまま先生のお宅に伺うことになった。
先生はその当時40代後半〜50代前半位だったのかしら。
河北展の審査員であった。
優しかった。
いつ、どんな時でも褒めてくれた。
「いいですねぇ このへんはゴッホみたいだよ」
「今日はセザンヌだね」
先生の庭には釜もあり、ある日粘土で好きなものを作ろうということになった。
私の苦手な世界だ・・・
これといったアイディアも浮かばなく、人の顔にした。
しかも、メチャ小さく。
流石の先生も、これには大家の名前は当てられなかった。


最初に教わったのは、色は必ず何かと混ぜて使う。
見たままではなく、自分の感じた色があればそれを使うも良し、
形だって変えて良いのだと。
バックも然り。
テーマはあっても、そこには自分を主張せねばならぬ。


渦中の人となった和田氏に欠けていたもの。。。
それは成瀬先生が教えてくれたものだった。


先生のお宅は、学校から行くぶんには問題ないのだが、
家からとなると、なんともはや交通も不便で
冬休みなぞは億劫になってしまい、絵画教室は1年で挫折。
それでも、街でばったりお会いすることもあり、優しさは変わらなかった。


今回の騒動で、先生を懐かしく思い検索してみた。

志賀広、佐藤多都夫、相沢正はアブストラクト・アートへの表現形成に進み、モダン・アート協会の会員となり、中原四十二、成瀬忠行は二期会同人となって魅力ある画面を作った。