〜学生運動〜

参加する側にも棘が

「あの布施さんが 未だにその時の気落ちを、上手く言い表せないでるよう気がする あの頃の学生運動って重いなぁ 」と息子が言いました。

その棘は抜けないのか、
或いは敢て抜こうとしないのか。。。。
それが布施明なのかなとも思ってみたり。。。
昨夜の【You Raise Me Up】は、前奏にアジ演説を導入しました。


中野に行ったら【ここ】と決めてるところがあります。
ライブのあとですし、ゆっくりと食事も楽しみたいし♪
翌朝の夫の通勤のことも考え、ホテルも確保。
普段なら混雑しているその店、日曜日ということもあり、
カウンターには、所々空席はあるものの、三人揃ってとなると・・・
2階の個室に案内されました。

布施さんのこと話してるうち
今なら話せるかもしれない。。。そう思えてきました
英語の講師 A子先生のことです。


兄の家に遊びに行ったときのこと、市場まで買い物にでました。
「oyumiさんでしょ?oyumiさんよね」
向こうから歩いてくる女の子を連れた女性に声をかけられ、
戸惑う私に「Tよ」旧姓を名乗られて初めて気付いたこと。
私達が憧れた先生の面影は、何処にも身当たりませんでした。
ヤンチャ生徒が子供抱いてるのですから、かなりの驚きだったのでしょう。
「あなた綺麗よ あなた綺麗だわ」
先生の励ましともとれる言葉を語ってるうち、涙が止まらなくり絶句。
「あぁ 駄目だ チョット待って」


彼女は高校の先輩であり、当時は東北大の院生でした。
講師として、第二英語担当。
素敵でした♪
校庭側の一番前の席になったことがあります。
真っ赤なオーバーに、大き目のベレー帽。
「来た来た」周りに小声で教えるワタクシ。
小声といっても一番前っすからねぇf(^_^)
発音は正規の英語教師よりもキレイで、それもそもはず
名画座(当時100円)に、1日分のおにぎり持参で入場し、一度目は字幕を見、
二度目以降は原語だけに集中するのだと。


ある日の授業 横道にそれて(彼女にはよくあることなのですが)
それは60年安保のことでした。
完敗を意味したその日の朝4時、激しい乱戦の場ととなった一番町は、
何事も無かったような静けさで、風に舞うビラを見たたときの虚無感。。。
シーンと静まり返った教室。
先生の後ろには大きなスクリーンがあるように思いました。


先生とはウマがあうというのか、随分仲良くしていただきました。
思うところあって、東京に出てきたとき(頓挫しましたが)
先生からお手紙が届きました。
可愛らしい男の赤ちゃんを抱いて微笑んでるA子先生。
それとは別にご主人の写真が1枚。
先生ならもっとハンサムさんかと思ったのですが、^-^;
眼鏡をかけた真面目そうな男性です。


「今ね、そこの市営住宅に住んでるの。仕事はしてないけれど、民生員のお手伝いをしてるの」「この子は、二番目で4歳よ」と。
先生のお子さんですもの。
今頃は英語を活かして、バリバリのキャリアウーマンになられてることでしょう♪


学生運動が就職への大きな障害となり、
能力を活かしきれない時代がありました。
入社後、その気質が徒となることもあるでしょう。
再会した数年後 教えて頂いた住所にお手紙だしましたが、
尋ね当たらずで戻ってきました。


後輩達から訊くとやはりA子先生は人気があったそうです。
残念ながら、同窓会名簿には登録されてないそうで(私もですが)
もう、お会い出来る事は無いのかもしれません。
どうぞお元気で。