〜古今亭志ん朝 一席〜

赤い糸

独身時代のデートで「寄席に行こう」と誘われ、付いて行ったのが
池袋演芸場
今でこそ 綺麗で...綺麗というよりも
およそ寄席とは懸け離れた趣のビル しかも地下2階にあるのだが
当時は暗く汚いのが売りの演芸場。
狭い階段を上って行った。


演者も演目も、忘れてしまったが、お一人だけ忘れようにも忘れられないのが、
志ん朝師匠。


あれは6月だった。
真夏日のような暑さ。
私は肘丈の《提灯》袖のブラウスを着ていた。
信じられないだろうが、これはかなり画期的なこと。
夏服は 《7月1日》に着る。これニッポンの常識。
国民一斉に《衣替え》
一流デザイナーによる銀行、航空会社等の制服が話題にもなった。
最近は学校でも 衣替えに前後1週間ほどの猶予期間があるようだが、
園児から大人までが まぶしい夏の白に着替えていた。


枕で志ん朝師匠が、その日の暑さに触れ
「会場にも 半そでをお召しになられてるご婦人もおいでになられて、、」
ような内容だったっと思う。
客も振り返るは 人気絶頂の志ん朝師匠から言われただけで、
もう舞い上り、顔はマッカッカ。ちょうどその日の太陽のように。


アッというまに時は過ぎ
何の因果か 次男が大学のオチケンに所属。
それまで何度も池袋演芸場に誘われたが、昔の暗いイメージが付きまとい、
二の足踏んでいたのだが。。。
2000年 1月
前列に座っていた私達に、志ん朝師匠が枕でいろいろと語りかけてくれ
それがまた長めの 師匠も上手に笑いを取りながらの...
で、またもや 真っ赤か


先日長男のアルバムを整理し DVDに編集していたら
1歳の息子とまだ20代の若いママンの後ろにあるテレビの映像が、
志ん朝師匠》なのである。


全てが偶然であることは百も承知で、赤い糸
と、勝手に信じている。