〜円谷幸吉〜

忘れないでいたい

先日 新しい呑み処が開店した。
『和』前面の献立は、お値段からは想像も出来ないほどの味と量。
ほろ酔い気分の息子が、帰り道『おいしゅうございました』を連発しているうち、
円谷選手の話を始めた。
「あの遺書は、文壇の世界でも高く評価されてるんだ」と。


国際大会の競技に参加する選手の常套句に、
「楽しんで来ます」があり、最近はその言葉を履き違えてるのでは?の
声も上がるが、不本意な結果であれ、
「ベストを尽くしましたから」と爽やかに答える選手も多くなった。
時代は大きく変わっていたのだ。

川端康成は『円谷幸吉選手の遺書』を発表し「繰り返される《おいしゅうございました》 といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律 をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」と語り「千万言も尽くせぬ哀切」と評した。(「風景」1968年3月号)


円谷と接した人は口を揃えて、まじめで責任感が強く礼儀正しい好青年だったと評する。その性格はしばしば自らの不成績を責めるという形になって現れ、それを克服するためにオーバーワークを招きがちだったことが、自殺という悲劇につながったとする見方も強い。当時の関係者からは「ノイローゼによる発作的自殺」「選手生命が終わったにもかかわらず指導者に転向できなかった円谷自身の力不足が原因」など様々な憶測が語られたが、三島由紀夫は『円谷二尉の自刃』で、これらの無責任な発言に対し「(円谷の自殺は)傷つきやすい、雄雄しい、美しい自尊心による自殺‥‥この崇高な死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さは許しがたい」と強い調子で批判した。

父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。

 巌兄、姉上様、しめそし、南ばん漬け美味しゆうございました。喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。

 幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。モンゴいか美味しゆうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。

 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。

 父上様、母上様。幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

円谷幸吉(1968/01/09)